MURMUR

 

1999.09.26 (SUN.)

 

どっちつかずな日々

 

このところ、とてもじゃないけど元気とは言えず、かと言って暗くなっている訳でもなく、 中途半端な訳のわからない状態かもしれない。今日こそはこのHP全体もバージョン・アップを計ろう、、、 などとお風呂に入りながら思うものの、結局ビール飲んでゲームして夜が更けていく毎日。。。

会社では民族大移動(?)が色々と噂され、云十の手習いであるテニスの大元も存続が危ぶまれる 今日この頃。躁鬱の運命をかなりな回数で左右する恋愛なんぞも格別変化なし。・・・いや、まあ やはり色々あるものの、未だ踏み切るに至らず。。。踏み切るということは一体どんなことなのかが 問題ですが。。。私は誰彼を愛してはいるがその誰彼を愛してはいない、と先日思った。 ものすごく愛している人が「さあ、こっちへ」とでも言うのなら「ハイ」と行くかもしれない。 でもそれは夢。揺れても、色々と揺れてもそのために、有り得ない夢が原因で、いくつかの機会を 見送ってきたような気がする。夢が直接原因というよりは“そのようなことも有り得る”という夢見がちな 自分が原因と言えるかな。。。

今思えば、恋愛なんぞはいくらでもしてきたような気でいたけれどさして多くはなかったかもしれない。 愛してくれる人がいるということは、何故こんなにも重要なんでしょう。もちろん誰だって自分は自分な 訳だから「合う」とか「合わない」とかがあるのだけども、まずは愛してくれないことには始まらない。 始まらないものはアテにしても仕方のないことではあるが、それが夢の種になり、その種が水もやれない 状態でありながらもすくすくと育ち続けたりする。そして「ではこの辺で、いざ行かん」などと思った瞬間に 理由なく自分の中で、そよそよと葉が風に揺れたりするのだな。何度かの経験は、様々な理由で別れて 根ごと枯れはてて朽ちて消えてしまうのに、ほんの数本の樹というのはいつまでもいつまでも育ち続けて、 花も実も付けずに根ばかりがはっていくものだ。夢は夢なだけになんの失望感もなく。

夢だけを見て更に何年か経ち、ああ、あの時について行っていれば、、、などと思うのかもしれない。