MURMUR

 

2013.08.16 (FRI.)

 

目的地

 

ものすごく久しぶりだから、近況から報告を・・・と思ったら、前回から全然何も変わってなかった・・・ (^^;;;

未だに周りの人々に「誰かいい人いないかしら〜」と宣伝し続けているんだけど、例えばテニスクラブに 新たに来た人を指して「あの人独身だって、どう?真面目そうだしきっとお金もあるし」などと たぶん真剣に薦めてくれるおばさまに、「え?干からびたバッタみたいじゃね?」とは言えずに 一応「はー、そうですね」と頷いて見せる自分が空しい。

先日美容院オーナーの友達と話しつつ、結婚がしたいけど、誰でもいいという程にはしたくない、という 結論に達し、その少し前からどうせ一人で生きるなら、一人で生きるなりの充実した人生っつーもんを 模索した方がいいんじゃないか、とか考えた。考えてはみるけれど、それがどういうものかは 何も見えていない。
運転しているときなんかにふと、また考える。今日も運転しながら考えた。
先ず、最近コーチがそろそろレッスン終了を匂わせていて、考えてみたらもう
3 年以上、 150 回以上のレッスンを受けていた。
それでやっとうまくなったとは言われるものの、遠い昔に書いた前回の軋轢やなんか面倒臭くて 試合もほとんど出なくなったから、そういえばなんでうまくならなきゃいけなかったんだろう・・・とか、 哀しいかな、瞬間そんな気持ちになってしまった。
もちろんコーチはプロだし、私を愛している訳でもないのでレッスンにはお金がかかる。 思い出したのが、私、腰痛持ちなもんで、無職の間に相当お医者さんに通って、何十万も費やして 治っていないその空しさ・・・?
いかんいかん!!一応使い道はわからないけどレッスンの成果はちょっとだけ出ている!と 頭を振りつつ今日も炎天下のテニス。

人が生きていることには何か目的があるのだろうか。
みんな目的地へ向かって生きているんだろうか。
結婚したり、子供を産んだりすることが目的地なのかというとそうも思えず、 動物や虫ならば、それが目的という気もするんだけれど、
80 年とか生きている間に 色々な学校へ行って勉強したり、友達ができたり離れたり、色々な仕事をしてちょっぴりいい給料だったり がんばっても安い給料だったり、恋愛したり離れたり、 結婚して子供が生まれてその子供はまた色々な勉強したり仕事をしたり、そして自分は年金もらって お盆にお墓へお参りする。
人生のその最中では、結婚した人としていない人では何かが違うだろうし、子供を産んだ人とそうでない人は 何かが違うと思う。だけどみんなどこへ行こうとしているのかな。
もしかしたら私が今、あの国やあの国へ、と想いを巡らせるように、「充実した人生」というのが 目的地なのかしら。私が旅をして見聞きした充足感は、目的がないとしても無駄なものじゃないように、 普通に老いていく誰も彼もが目的なんて考えたりしないだろうけど、充足した人生がその目的地そのもの なのかしら。

目的地がわからない私には、人生に目的なんて全然求めない、そんなムズカシイこと考えたりしないけど なんだか普通にくっついたり産んだりして生きている人たちがすごいと思えてかなり違和感があって、 しかもその違和感は劣等感に近く、すごく毎日くじけていたんだけど、今日は みんな目的地なんてないんだなーってことに無性に安心してちょっとだけ親近感を覚えた。
私って変だね〜。