MURMUR

 

2010.08.20 (FRI.)

 

またとりとめない日々の話

 

相変わらず仕事がない!参りました。毎日やることなく無気力になり、なんと言っても無収入・・・。 買い物ができないじゃないか〜( iдi )
毎日朝早く起きて、同じように運転して通勤し、つまらない仕事、くだらない会話、時には理不尽な目に 合って頭にきたり、哀しかったり・・・そんな日々が懐かしい。確かにそれらの中で「つまらない仕事」と いうのはなかなかに耐えがたいけれども。
何件も面接に行った。その内かすったのが約3件。結局当たらずまだ仕事はない。ちょっとだけバイトに 行った。 面接で「残業もたまにはありますが」とか言われると食いつきそうになってしまう。 願ってもない。働きたい。ばりばりと。
1件、2件断られている内にはまるっきり自分の存在自体が否定されているような気持ちになる。 それでも更に何件か断られると胸のどこかで同じようなやりきれなさは拭えないながらも慣れてくる。 このままではイカンのだけど、なんというか、ヒトはやっぱり雑草のように強いものかもしれないなんて 思ったり。

家は暑くて敵わん。それなのに昨日から風が秋らしくなったかと思えば夏好きの私は物悲しさを覚え。
週に3回〜5回はテニスに行く。私がレッスンを受けて「コーチ様!」モードになると、不思議なもので 周りのうまい人たちは色々と言いたくなるらしい。全部が全部じゃないかもしれないけど、 テニスのうまい人たちには個性派が多く(?)試合以外でもライバル意識がゲキ強いみたい。
例えば、私はいろんな人の言うことはできないので「コーチ様!」の言うことだけを守ってがんばります、と いう事情を知っているはずのKさん(仮名)は、先日「肘が痛い」と私が言ったときに「打ち方が おかしいんじゃないか」と言い放った。なんでもないような発言ではあるが、実は「コーチ様!」の教える 打ち方を否定する言い方だと私は思ったし、近くにいたもうひとりのコーチ信者もそんな顔をしていた。 もともと若いときにソフトボールで痛めてたし、この年になって週に5日もテニスしまくってるから 痛いんじゃね!?? と私自身は思うのですが・・・
また 呑みトモダチのMさん(仮名)は、酔っ払ったときに「コーチ様!」を潰してやる!とまで 言いおったllllll(- _ -;)llllll ・・・まあ、実際にはそんなことしないんだけど。別に私あなたの 彼女じゃないし、別にコーチは私の彼氏じゃないし、なんでそこまで思うのか、、、でも一部テニスうまい 人ってそういうタイプ多い・・・(;´∀`)

それとは違うんだけど、昨日いつものクラブで木曜日デビューしてみた。何時頃から人がいるのか わからずに午後でかけてみたら、この界隈では知る人ぞ知る協会長さま(かなり年配です)がひとりで いらっしゃいました。いつもひとつかふたつしかゲームもしない方なので、私はひとりで壁打ちをして 手持無沙汰していたところ、会長さまが「球出ししてあげようか」と・・・Σ( ̄ロ ̄lll)
恐縮至極・・・名を冠した試合まであるような方ですよ!?? 確かに以前酔っ払った席で 「教えて下さいよ〜、へっへっ」とか言った覚えはあるが・・・ 「ハ、ハイッ!」と会長さまのボールを 真剣に打ち返すワタクシ。
しかしここで問題が・・・。とにかく私は不器用で下手くそだから、いろんな人の言うこと聞いてたら ハチャメチャになっちゃうもんで、「この人!」と決めた人の言うことだけをなんとか覚えようと必死な 訳だ。特にクラブの方々がときどき思いついたときに思いついたことを言うのと違って、高いお金を払って 教わっているプロのコーチは段階も踏まえて教えてくれている筈で。そんで今私は一生懸命スピンで打つよう がんばっているのだが、会長さま(昔はすごい選手だった人だ!)は「女性のスピンは大してかからないし、 フラットで打ちなさい」と・・・。テイクパックも真逆のご指導・・・(;>_<;)
確かに教えていただいたとおりに打つとボールは早い。しかし「コーチ様!」盲信の私はやはりスピンが 打ちたい。でも炎天下であの!会長さまが球出ししてくださっているのに違うことはまさかできない。 とりあえず昨日は会長さまか帰るまで、なんだか自分でもよくわからんがフラット目指して打ったり 「今はよそ見してる」と思ったときにはスピン打ったり・・・ いや〜、テニスってホントむずかしいわ(;^ω^)

かなり古い話だけど、小さい頃は青白い子供で外には出なかった。ママが「若いときに運動部に入るべし」と よく言っていて、肘痛めてあっと言う間にやめたソフトとか、地区のミニバス(小学生のバスケ)くらいで あとは運動なんかしたことはない。あとはずっと詩人でミュージシャンだったし〜。テニスを始めてから ママの意図はよくわかる気がする。音楽は自分のセンスが信じられればそれでヨシの世界。まあ何も悩みが ない訳ではないが。運動って全然そういうんじゃないものね。
子供の頃、くやしいと思う気持ちは醜いと思った。哀しくて流れる涙は透明だとしても、悔しくてにじむ 涙は汚い色をしていると思ってた。詩人がくやしいと思うシチュエーションはきっと汚かったんだろう。 でも、テニスしていてくやしくてついこぼしてしまう涙って、決して醜くはないよなあ。

全然話し飛ぶけど、バイトしていたときに、家族または彼氏とディズニーランドに行くという話を何人からか 聞かされて、 「デートがしてェ〜!!」と叫んでいたワタシ。先日久しぶりにしおがデートしてくれたぁ。(呑みに 行っただけだけど・・・) 誰かが、 仕方のないつきあいやどうでもいいようなつきあいじゃなくて とても近い誰かが目の前にいて、話を聞いてくれたり、他愛もない話をきかせてくれたりすることが こんなにも素敵だということを久しぶりに感じちゃった。
ヒトは確かに雑草のように強くて、何度も何度も枯れてもう駄目だと思って目を腫らしたって、大概のことは 時間の力でやり過ごせてしまうものなのかもしれないけれど、それにできれば誰にも踏みにじられず 生きられたらいいとは思うのだけど、少しだけでもそんな風に一緒に過ごせてくれるヒトがいてよかった。 目の前にそんな必要なヒトが座っていてよかったなあ。