MURMUR

 

2010.01.14 (THU.)

 

帰りたくて ケニア

 

去年の11月から再度無職となって、せっかくの時間なので久しぶりに旅行に行った。今回はケニア。 時は12月。なんでケニア?とよく訊かれるが何故かケニア。なぜでもケニア。
まー、とにかく遠い遠い・・・(@@;
香港とドバイで乗り継いで、ナイロビから初日泊のナクル湖まで車で更に6時間。到着するまで約30時間〜。 一体何食たべたのだろーか。そして一体何リットルのビールを呑んだのか・・・。
ドバイの空港は一体どこまで続くのかわからない程とてつもなくでかい! 夜、雨だったせいもあり 灯りが果てしなく広がっている。さすがドバイ!!

ナイロビの喧騒から徐々に遠ざかる6時間の車窓からはアフリカの風景。ちょっとインドに似ている。 何もない草原(荒原に近い)が続いたかと思うとところどころに暑く貧しい国らしい派手でいい加減な家屋の 群れがあって、日陰でダベる男たち。原色の布を纏う女たち。横たわって動かない牛、犬。ぎゅうぎゅう詰め の車。草原では何度も牛やヤギの群れを連れた人かげが見られる。ナクルに近づくにつれ 「あれはマサイだ」とガイドのジョンソンさんが言う。
「ちょっと待ってー!今ヒヒがいた!!」・・・そう、そんな道端に普通の顔して立派な毛並みのヒヒが!! そして次には「ちょっと待ってー!!シマウマが!!!」・・・そう、普通に牛みたいな佇まいで シマウマが!!! ケニアすげーよ。

ナクルの宿は「フラミンゴヒル・テントロッジ」。ベッドやシャワー、トイレは普通に存在するんだけど、 建物がテント。私のテントは一番端っこ。いつもオンナひとり旅でビクビクもんの私は初めちょっとビビった。 しかし、この端っこがラッキー。国立公園のお宿はつまり国立公園の中に動物園の逆バージョンで 柵に囲われている感じなんだけど、端っこだからすぐ目の前に柵がある。つまりすぐそこが国立公園。 シマウマとバッファローがゴロゴロいる訳だ。いやこれホント。

宿から初めに言っちゃうと、次の宿泊先はマサイマラのマラ・ソパ。こちらはかなりリゾート的な小洒落た 感じ。部屋もリゾート、プールもあるしレストランも広い。
でもどちらも食べるものはおいしいし、スタッフは誰しもすごく親切だし歯は丈夫だし(ビール開けてくれた) いつものごとく若干の「なんで独身ですか」「私と結婚しましょう」攻撃はあったものの、快適快適。 皆さんありがとう!!!

ケニアに行って何をするかと言うと、毎日朝夕2回のゲーム・サファリ。草原の、ときにはわだちに沿って、 ときにはそれを外れて分け入って、あちらこちら動物たちを探してドライブ。 他の車は何人かのグループで乗り合いだけど、なんと言っても私はひとり旅。ジョンソンさんを独り占めの プライベート・カー。車には無線があって、何がいたとかの情報交換されていたみたい。 何台か車が集まっているところにも大物がいる予感。サイ、ライオン、キリン、ヒョウ等々。特に私が感動 したのはサイ。なんだろう、イルカとかシャチとかが海の神秘なら、サイは陸の神秘だって思う。
慣れというのは恐ろしいもので、初めに道路脇でシマウマを見たときは「シマウマだぁー!」と思ったのに、 公園内にはシマウマがゴマンといるので「なんだシマウマか」などと思う。インパラ然り、 トンプソンガゼル然り、キリンでさえも「なんだまたキリンか」なんて感じになってくる。 なんて贅沢!!
ジョンソンさんも、日本人はキリンが好きだけど、キリンは全然珍しくないって言ってた(^^;
しかし!最後のサファリでは、そんな風に草原に普通にキリンが立っているってことに改めて感激しました。 アフリカってすばらしい!!!

マサイの村にも行った。道端などマサイの写真を撮るとトラブルのもと、とガイドブックに書いてあったけど、 それはお金。いつもどこへ行っても子供の写真は必ずと言っていい程撮っている私としては、そんなヤギ連れ マサイの子供が撮りたかったけど我慢。一度まとまったお金を払ってマサイの村へ行った。 子供の写真も撮り放題。しかし・・・。

12月16日

マサイ村。これはもしかして今までで一番後悔するような体験だったかも。 マサイのチーフとかいう若者と一緒にマサイの村へ。ジョンソンさんは外で待っているという。
一番のショックは幸運のお守りとか言って1,200円くらいと思われるネックレスをとんでもない高額で 買っちまったことだよ!! いらん、と思ったのに「
GOOD LUCK 」という響きがあまりの縁遠さに憧れの 権化となってまぶたの裏をチカチカ白黒・・・。バカだ。まー過ぎたことは忘れよう、バカだけど!
・・・で、子どもと写真を撮らせてくれるんだけど、汚い。なんて言うか貧しいとかいうんじゃなくて だらしなくて汚いような・・・。子供たちは喜んで握手とかしてくるし、そりゃ嬉しいし、全員と握手した けど、「顔洗え!!」って怒りたくなるっつーか。
そこでまたインドが思い出される訳で・・・。まーハエの数は断然インドの駅が勝利だけど、インドの 子供はスるとかくれくれするとか、もっとものすごくアクティブなんだけど、マサイの子供は立ってたら 人がきたからついでに手を出してみよう、的な・・・。
マサイダンスも見せてくれたけど、「え?まじ?お願い、真剣にやって」って感じで「どうするー、もう ちょっとはねとくー」とか話し合いながらやってんだろうな、という。。。

先日「スラムドッグ・ミリオネア」を観た。インドだった、本当に。どうしようもなくインド。
ケニア旅行は楽しくて、快適で、ケニアってすごいと心から思ったんだけど、ケニアにいる間よくインドの ことを思い出した。例えば子供たちにしてもどちらが幸せかって推測したらケニアで通りかかった人に たまたま手を出してみる方が幸せなのかもしれない。マサイの若者の観光に対応した生き方が幸せなのかも しれない。ただ私が観光客なだけ。
ただ、もう一度行きたいのはやっぱりインドだとすごく感じた。観光客だからに違いない。でも、もう一度 行きたいのはやっぱりイドだと感じる。もともと比べるべくして行った訳ではないんだけど。

ナイロビを発つ日、空港で時間があったのでいつもの如くビールを呑んでいたら、赤いワンピースを着た 美人でナイス・バディな女性が席を探してて相席した。どうぞと言ったきり知らん顔してメモをとっていたら 彼女が泣いているではないか。話しかけるのも憚られ、「憚られる」とメモしている内になんだか会話に なった。彼女はもともとケニア出身なんだけどイギリスに住んでいて、おばあさんの様子を見にきたんだって。 で、心配なんだけど、ここにひとりでいるんだけど、今日は誕生日だって訳だ。
そこでお誕生祝いの乾杯をし、意気投合。なかなかないけどこれもまた旅行のすばらしさ!!


旅行の間にジンさんのことは整理したつもり。
私が旅行に行っている間にここ数年仲良くつきあっていた友達も整理したことがある模様。
そこで全然違う話に飛ぶんだけど、福島から帰った頃からその友達となんとなく疎遠になった。もしかして 酔っ払って要らぬことでも言ったかと心配したけど、ホントのところよくわからない。 もともと毎週のように呑みに行っていたのはそのコの提案じゃなく整理された方の提案。だから声がかから ないということは、やっぱり整理したのかしら、と想像したりした。
新年になってやっとお土産を渡す機会ができて、女四人で新年会。初めにそのコと私が到着。本当に今までの 話とは関係のない話なんだけど、私はその日ミニスカートを履いていた。女同士で集まるときは気合が入る ぜ、と私は言った。男がいるときにミニスカートを履くのは気を使うとも言った。そのとき彼女は確かに 「年甲斐もなく」と言ったの・・・。
確かに私は既に高齢ではあるが、ミニスカートを履くのは私の自由。第一私の足はミニスカートに耐えて十分。 白黒のボーダーのフツーのセーターにジーンズで来た彼女に言われたことは、後に思い返せば相当に心外で ありました・・・。同じ年頃または年上なら何も思わなかったろうけど、多少の年下に言われ。
もともと疎遠になりつつあった訳だし、友情も恋愛と同じようにあるときふと冷めるのかと私は思った。
数年前に結婚式で貸したワンピース3着(候補も含め)返して欲しい・・・
ちなみに彼女は「ケニアに行った」と伝えたとき開口一番「いくらだった?」と訊きました。 「どうだった?」ではなく「いくらだった?」と。箸で人を指すことも目をつぶってきたが、なんだか 冷めちゃった。私はたぶんワガママなんだろう。でも冷めた。本当に気の合う人なんて、私には いないのかも。少なくとも日本には???