MURMUR
2006.06.12 (MON.)
百年の孤独
どういった経緯で命名されたんだろう。なんとも惹かれる銘柄である。もっとも味はわからない。 呑めば皆同じ・・・。
ラフティの散歩中、ふと気づいてびっくりしたことがある。月日の過ぎるのがあまりに早いということ。 散歩コースに胡桃の木があって、通る度に“木からとった青い胡桃(もちろん実が完成した状態だけど) っておいしいよね”などと思い出す。その胡桃の実が黒くなり、落ち、花が落ち、今朝気づいたら 新しい小さな実がついていた。何故か本当に心からびっくりした。 そんなことにびっくりする自分にもまたびっくりしてしまった・・・。
昨日は一日中、朝も昼も午後も同じような灰色の空だったけれど、とある陸上競技を観に行った。
私と陸上という取り合わせも珍しい。吾ながらすごく縁遠い気がする。まさか陸上競技場で
ナマ陸上を観るとは思いもよらず、ホント。
実は「鳩さん」は、かつて(?)すごい陸上選手だったのだ、投擲の。という訳で「砲丸なげ」「円盤なげ」
「ハンマーなげ」を観た。 「投擲」って正直言って初めはちょっと観ていても和気あいあいだし、寒いし、
球技とかトラック競技のようなドラマチックなストーリーでもない気がして、とまどってしまった。
しかし、ハンマー投げの頃には「がんばれ!」と遠く離れたスタンドから手を合わせて応援!
恥ずかしながらライバルが投げるときには、「お願い・・・外せ!!」などと思っちゃったりして・・・。
ゴメンナサイ。行く前には「いくら記録保持者でも、一回も練習しないで十年以上ぶりに行っちゃ駄目」とか
言ってたんだけど、健闘です。マスターズとは言え、ハンマーで金メダル獲得!すごいです。
さすがです。
一日中雲っていたせいなのか、ついでのお買い物(ビョーキだってば)も しっかりしたのに 帰る頃には、実はかなりブルー。帰宅して散々ビールを呑みながら「バッド・エデュケーション」を観ても 悪化の一途・・・つーか、明るい映画を観ろよってことだって??? それ観て明るくなったら逆に コワイ。。。ペドロ・アルモドバルですよ、だって。
自分のことを好きだと思ってくれる人がもしも居て、けれどもその人をすごく好きな訳ではないことは
何度かあった。嫌いな訳じゃないけれど、「すごく好き」ではなかった。「すごく好き」ということを
結局私は知らないんじゃないかと、昨日も少し思った。一時期そんな気がしても、「話を聞いてくれない」
とか、「共通の話題がない」とか、改めて考えはしなくても結局そんな風にすぐに思う。
そんな風に思ったくせに、家に帰る相手が哀しくて恨めしい。こういうのを「人恋しい」と言うんだろうか。
勝手な話ではあるだろう。
たまたま“転勤できるか、できないか”という話題が出た。“できない”という鳩さんのセリフを聞いて、
この人には妻と子だけでなく、両親もいるんだなぁ、としみじみ思った。
それは全くただ偶然にそんな話題になって、ただ偶然にそんなことを思ったのに、実は昨夜 彼のお父さんが
亡くなったとのこと。。。私は普通に会社へ行って、訃報の連絡がまわるのをなんとなく待っていた。
私だけが知っているのは変だし。いよいよ連絡がまわった頃、仕事で銀行へでかけた。
車に乗ってひとりになると、すごく泣きたい気持ちになってしまった。でも、それは何故だろう。
お父さんが亡くなったことが哀しいんじゃないと思った。結局そんなときでも私は自分を哀しむ。
好きだなんだと言われたときには、「何を言ってるのよ。帰る家があるでしょう」と邪険にしてきた。
それでも本当は、昨日のように一緒に初めて休日なのに出かけたことも、それから遅くならないようにと
家族の元へと彼が帰ってしまうことも、それはとても哀しいと私は感じる。いよいよこんな重大なことが
起こってしまうと、私は告別式に行くことさえ不自然なただの他人だ。
人生を共有することのない軽薄な私。子供が育った話、親が死んだ話、喜びも哀しみも共有することのない
たったひとりの軽薄な私。
呑んでいるのは「百年の孤独」ではない。単なる発泡酒だ。発泡酒をバカにする訳ではないけれど、
軽薄な私にはふさわしい。