MURMUR

 

2006.02.03 (FRI.)

 

HIDE and SEEK

 

本来のパターンとしては MOOVIEに書くことかもしれないけど、 酔っ払って面倒だから(?)こっちに書きます。そんないい加減なやつなの、兎烏丸は。
相変わらず適宜に映画は観ているけど、通勤時間が以前よりかかって朝は毎日
5:30 起きだし、 夜は鳩さんと居酒屋三昧だから、以前に比べたら思いたったときだけ見てる感じかもしれない。
今日は金曜日だし、帰りに雪が降っていたので週末もテニスが怪しいと思いしばらく振りに数枚の
DVD を借りてきた。それで「 HIDE and SEEK」。
Dakota Fanning 、「コール」しか観てないと思うけど、 観終わった瞬間に全てを忘れてしまう馬鹿!な兎烏ちゃんにしては既に非常に印象深い女優となっております。

「シークレット・ウィンドウ」にしても、これにしても中途でほぼ「この人だ」とわかったりするし、 更には一応想像通りの結末となる訳だけどもなかなか面白かった。

で今日は金曜日で、先々週末あたりから自分の分をわきまえようと、それは謙虚な気持ちな訳じゃなく ただ「あーそーするさ」的な感情の結果なんだけども、本当に週末になればいかような事情があったとしても 別に会社の誰其に逢いたいなんて思わないし、正直に言ってしまうとそれについて色々な感情が 働くこと自体が「ムダだ」と思うようになった。
そして月曜日がくると「本当は好きじゃないのか?」なんて訊かれてしまい、どうしろって言うのか 本当によくわからない。お互いの立場を尊重しあわなければつきあえない状況にも関わらず、 まして実際問題週末になれば先方の立場を尊重して連絡もしないように心がけていた私としては、 その変わりようが変だと思うし、 逆に「お互いの立場を尊重しよう」とか言われてしまえば、何を言っているのか全く理解に苦しみ、 「英語で言ってください」などとふざけたことになっちゃったりもした。

ところが、この「 HIDE and SEEK 」を観てふと気づいてみると、 ・・・というか、観終わって「じゃあ飲んだビールでも出してくるかいのぉ〜」などとトイレに向かいつつ 「今日から週末、今日から週末」と唱えている自分に気づいたらふと怖くなってしまったのだった。
今日の夕方辺りから、週末なんだという認識を自分に唱え続けて頭から週末にとって不要な情報を排除した。 明日や明後日はテニスに行って、今最も愛するジンさんがいるとかいないとか、こっち向いたとか あっち向いたとかで精神を消耗するんだろう。それからまた次の一週間が始まれば、ジンさんのことを 考えることが「ムダだ」と思うように変化して、その他の誰某を「この人が居なくちゃひとりぼっち」とか いうモードに普通に入ってしまうのだ。

健常者から見たら、異常に他ならないだろうと思った。 HIDE and SEEK 、つまりかんれんぼしているのは 正に私だと思った。
だから用もないのに
5:30 どころか、 5:00 に起きて洗濯してみたり、 かと思えば「今日は行かない」と決めてまた寝たり、必ず笑い話にされるけれども毎朝目が醒めて先ず ビールを煽ってみたり、そうしなければ、呑むことも、頭から原因を排除することも私には必要だから、 結局やっぱり今でも十分壊れていると思う。
だから結局最終的には誰のことも信用しないし、誰も最後まで味方したりはしないんじゃないか?

ひとつだけ言い訳するなら、この「 HIDE and SEEK 」は、結局のところ本当に愛していた からだってことで、愛していたからこその結果だってことかな。

オカシいことって、自分で認識できないものだって。私はそうは思わない。 自分でわかっているのもなかなか哀しいものだよ。