MURMUR

 

2001.04.03 (TUE.)

 

好きな音楽を聴くのはいい

 

今日は寒かったけどこの頃だいぶ春めいてきたので、昼休みはまた車で本を読むようになった。 久々に三島由紀夫を読んでいる。そう何冊も読んだ訳ではないけど “こういう文章だったかな”と驚嘆。 なにしろフランス映画のようなテンポというか、それでいて「活字中毒」ってこうだったと思い出させる。  例えば『人生には何事も可能であるかのように信じられる瞬間が幾度かあり、この瞬間におそらく人は 普段目が見ることのできない多くのものを瞥見し、それらが一度忘却の底に横たわったのちも、 折にふれては蘇って、世界の苦痛と歓喜のおどろくべき豊穣さを、再びわれわれに向かって暗示するので あるが、運命的なこの瞬間を避けることは誰にもできず、そのためにどんな人間も自分の目が見得る以上のものを 見てしまったという不幸を避けえないのである。』(三島由紀夫「愛の渇き」)

もちろんこれは小説で、哲学書とはまた別のもので、前述の文章は秋祭に出向いた主人公のことを 書いている。不思議だ。 結局先日に決めた「本を読む日」は実行していなかったけど、おかげで活字 中毒復活の兆し。。。

また先日たまたま会社が休みでアカデミー賞の中継をすずちゃんちで面倒臭がりながら見ていたら (〜それというのも私は映画以外での映画人の素顔とか私生活とか全然興味がないのに、 あの人は誰々と結婚して、とか 今度出る映画で共演してる誰某とあの人はウワサだ、とかいう無用な説明を 延々聞かなければならないからだ)、スティングが歌った。 なんで出てたのか知らなかったけど 「ディズニーのあの映画の歌で」という説明を聞いて「へー、そうなの」と会話は流し、しかしながら スティングの声には物語があるというか、何言ってるかわからなくても物語を感じるんだな。  で、テープ換えるの面倒だからそのままもう何ヶ月も聞き続けていた車中のテープをチョー久しぶりの スティングに換えた。聞いていたらもっと大音量で聞きたいと思い、でも少しだけ音量を上げた。 そうこうしていると近所迷惑・家族の思惑を省みずにスピーカーも割れんばかり(それはすごく 大袈裟だけど)に音楽を聴いていた若い頃を思い出し、新しいCDが無性に欲しくなってしまった。 そこで今日はまだスーパーの閉店9時に間に合った帰宅途中、お弁当用の冷凍食品を先ず買って、 それから24時間営業の常連ビデオ・レンタル屋へ行きビデオを誂えた後、CDを物色。きっかけだった スティング1枚新しいの買うつもりだったのに、どこに何があるのかわからず徘徊している間に見つけた パティ・スミスも買ってしまった。財布の残金は千円冊1枚。買ったCDより少ない。。。  あまりにCDを買うのが久しぶりで我ながら驚いた。今よりももっともっと収入が少なかったバイト 時代にも、本と、レコード乃至CDだけはほとんど躊躇なく買っていたのに。。。

そこで考えるに、日本のポップスばかり(同じ人だけど)聞いていたんでこんなに頭がふにゃらけたのか?  もともとイカレてはいたけどこんなにアホウだったろうか。日本のポップスのせいにするのもおなしな 話だが、でもそれも一部ではあるような気がする。

ちなみに買ったスティングがどれほど新しいかはなんとも言えないけど、2曲目で歌っているのは まるで SEZEN AKSU ではないか!? 得した気分。。。