MURMUR

 

2000.01.28 (FRI.)

 

自己完結の愛

 

愛なんていうと、ちょっとテレ臭いような怪しい感じだけど、でもやっぱり愛の話。
誰かが自分を好きだと言ったとする。例えばおつきあいできません、などと断ったとする。 相手はしばし落ち込んでから諦める。しばらくすると違う誰かに好きだと言う。青春時代の片思いと同じ。

私が誰かに好きだと言うとする。例えば相手も好きだと答えたとする。所謂「おつきあいしている」状態に なる。今ごろあの人は何をしてるかな、などと考える。今度いつどこで会おう、などと約束する。 その日そのとき、忘れられたり違う予定を入れられたりですっぽかされて、何度も何度も文句を言っても 変わらなければ、その内に、自分だけが熱くなっても仕方がないんだと諦めるようになる。 悪い歳のとり方かもしれない。たぶん忘れたりする方は安心しているのだろう(?)。

私は感情的な人間だし、率直というか、、、つまりマイペースなので、好きと思えば好きだとわりと すぐさま言ってしまうし、そこで玉砕しても好きは好き。ひたすら好きなまま自分は自分でひきずっていく。 トモダチの中に、端から見ていて「そんなに好きなんか」と痛々しいほど好きなのに、決して好きだと 言えない人がいる。そんなに好きなら好きだと態度で示そうよ、と言ってみても決してその対象には言えない、 見せられない様子。

もしも、私を好きになってくれる人がどこかにいたらとてもうれしい。その人を自分も好きならば すごくうれしい。けど、もしもその(いるかいないかわからないけど)その人が決して好きだと言えなかったり、 好きな態度をできなかったりするならば、私たちはすれ違って、あなたの気持ちを知らないまま過ぎていく。

だからあなた(存在するならば)の愛は自己完結の愛だと思う。

また一方では、玉砕しても何度砕けても、いつか振り向いてくれるかもしれないなんて当てのないことを 考えながら、ときにはあっけらかんと、時にはひじょーに暗く考えたりしてひとりあーでもない、 こーでもないと思ったり、もしくは全く相手の眼中になくても自分が好きな気持ちはどうあがいても 否めないから、などと納得している私のような愛も、自己完結の愛だろう。

もしかしたら愛は、自己完結でありがちなものかもしれない。少し昔のテレビ・ドラマのような 幸せな愛だとしても、もしそれがテレビ・ドラマでなく現実ならばほんの一瞬でも自己完結な部分が あるかもしれない。
・・・こんなことを考えずに愛して、愛されていることを実感できるのが、 “テレビ・ドラマのような現実の愛”かもしないけど。

私の感情的な愛よりも、もっと大きな何かで包んでもらいたいと思うことがときどきあるのです。。。 ただのひとりごとなんだけど。。。